【貧乏時代の記憶】オロナミンCと津軽海峡冬景色。私の昭和な幼少期

以前、幼少期に住んでいた『文化住宅』の話を書きましたが、今日もその頃の思い出をひとつ。

私が小学校低学年の頃。
家に帰ると、父がよく仲間を集めて麻雀をしていました。

今から思えば……
お父さん、仕事は?(笑)
もしかして、ニートだったのかな?😂

■ 点棒と引き換えの「オロナミンC」

でも、父が麻雀をしている日は、私にとって〈ラッキーデー〉でした。
なぜなら……

麻雀が終わったあと、点棒を一人分ずつきれいに並べて、箱のようなものに入れると、なんと『オロナミンC』がもらえたから!(笑)

白い棒に黒や赤の丸印が入った、あの点棒。
子どもの私にとっては、それをきれいに並べるだけで大好きなオロナミンCがもらえる、夢のようなお手伝いでした。

今日は麻雀やってる!
それだけで、だいぶ嬉しかったんだと思います(笑)。

■ 優しかった祖父と、3人乗りのバイク

文化住宅の奥にある長屋には、母方の祖父母が住んでいました。
弟と一緒に、よく遊びに行っていました。

祖母は再婚していたので、祖父とは血のつながりがありませんでした。
(そのことを知ったのは、ずっと後になってからのこと。)

子どもの頃の私には、そんなことは関係ありません。
祖父は、とにかく優しい人でした。
私と弟をバイクに乗せて、公園まで連れて行ってくれたこともあります。

……よく考えたら、3人乗り?(笑)
今なら絶対に心配になるやつです😂
でも、私にとっては大切な思い出。

そんな祖父は、なんと80歳過ぎまでバイクに乗っていました。
享年92歳、最期までなかなかの現役でした。

■ ビールケースの舞台で熱唱した「津軽海峡・冬景色」

祖父母が住んでいた長屋では、お盆の時期に『夏祭り』が開催されていました。

……といっても、立派なお祭りではありません。
どちらかというと、『近所のおっちゃん、おばちゃんによるカラオケ大会』です(笑)。

ビールケースを裏返して並べ、その上を舞台にします。
そして子どもたちが、その舞台に立って歌う。

ただし、選曲は……演歌オンリー。
今の子どもたちが見たら、かなり渋い夏祭りです😂

もちろん、私も登場しました。
なぜなら……盛り上がると〈おひねり〉が飛んでくるから!
子どもにとって、お金が飛んでくるステージほど魅力的なものはありません(笑)。

私の十八番は、『津軽海峡・冬景色』。
幼い子どもが、夏祭りで『津軽海峡・冬景色』です。季節感、どこ行った?😂

でも、私は本気でした。少しでも上手に歌いたい。
少しでも大人たちを盛り上げて、おひねりをたくさんもらいたい!

そこで、誰に教わったわけでもないのに、独自に発声練習までしていました。
もっと上手く歌いたい
そんな気持ちは、子どもながらにちゃんとあったんですね。

■ 昭和の記憶が、今の私につながっている

今でも私は歌うことが大好きです。
原点はあのビールケースのステージだったのかもしれません。

豪華な舞台もない。立派な音響設備もない。
あるのは、ビールケースと近所の人たちと、子どもの歌声。
でも、そこには笑い声があって、拍手があって、時にはおひねりまで飛んでくる。

今思えば、愛おしく幸せな時間でした。

オロナミンC欲しさに麻雀の点棒を並べ、
3人乗り(?)のバイクで公園へ連れて行ってもらい、
夏祭りでは『津軽海峡・冬景色』を熱唱する。

なんとも昭和な子ども時代です(笑)。

決して裕福ではなかったけれど、思い出してみると、笑えることがいっぱいある。
そして今の私の『歌が好き』という部分にも、ちゃんとつながっている。

人生って、案外こういう何気ない出来事の積み重ねなのかもしれませんね。

あの頃の私に、
「大人になっても歌うこと好きやで」
って教えてあげたら、きっと喜ぶだろうな。

……そして、
「オロナミンC、まだ好きやで」
も。付け加えておこうと思います(笑)。

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